2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号
秘書を十一年務め、三十八歳で横浜市会議員に当選し、地方政治に携わる中で、「国民の生活を更に良くしていくためには、地方分権を進めなければならない」、その思いから国政を目指し、四十七歳で衆議院に初当選させていただきました。以来、地方出身であることを誇りに、国民の皆様にとって何が当たり前かを見極めながら、政治活動に邁進してきました。
秘書を十一年務め、三十八歳で横浜市会議員に当選し、地方政治に携わる中で、「国民の生活を更に良くしていくためには、地方分権を進めなければならない」、その思いから国政を目指し、四十七歳で衆議院に初当選させていただきました。以来、地方出身であることを誇りに、国民の皆様にとって何が当たり前かを見極めながら、政治活動に邁進してきました。
私が大阪市会議員の時代に、ベンチャー企業育成のために、大阪市が、市の所有地であった水道局の跡地活用でベンチャー企業に対して破格の賃料で貸与するということがありました。その際に、ベンチャー企業の創業者の方々と意見交換をする場があったのですが、私のそのときの感想として、専門的な分野で非常に優秀な方ばかりで、こんな優秀な方が起業するのであれば事業は成功するのかなと実際思いました。
私自身も道州制に関しては非常に思い入れが深く、約十八年前に私が初めて大阪市会議員として初当選させていただいた頃から私自身も議論をさせていただいております。また、我々日本維新の会としても、党の政策として道州制を挙げており、平成二十五年以降、衆参両院で計四回、道州制への移行のための改革基本法案を提出してまいりました。
私も、名古屋市会議員団のさいとう愛子市議と現地に伺わせていただきました。トイレも、換気が難しいと臭いが職員室に漂ったり、衛生面での問題がございます。また、子供たちが保育を受けている保育室の床もべこべこして危ないような状況がございまして、行ったときに子供たちから、直してくれるのと声をかけられるような状況でございました。
ただ、一方で、道州制に関しては、私、十八年前に初めて大阪市会議員に当選させていただいたんですけれども、実はそのときから道州制という議論がありました。ただ、十八年前もあったんですが、現在まで全く進んでおらないというのが実情じゃないでしょうか。そして、いわゆる国民の理解も深まっているとはなかなか考えられないところであります。 道州制の導入について、政府・与党でどのように議論が進められていたのか。
私も看護師出身で、京都市会議員だった時期も長かったものですから、現場で医務監として御苦労されているんだろうということを本当に思いました。
一昨日の大阪市議会で、我が党の蔵本市会議員の質疑の中で、大阪市の財政局長さんたちが、毎日新聞の記者さんから送られてきた記事に関する公文書を隠蔽し、故意に破棄したことを認めました。しかも、担当の財政課長は、この委員会の答弁で、毎日新聞と共作したと受けとめられてしまう不安から故意に破棄したとはっきり、故意的に破棄したことを認めました。
議員会館に大阪市会議員も呼び寄せて、そこで何をやったかというと、報道によると、大都市法に欠陥がある、なぜ二度も、なぜ二度も住民投票をやったんだと。もう三度目は許さないとかいう、よくわからない、そういうことを言ったか言っていないかよく存じ上げませんが、そういうことがあったんです、武田大臣。大変残念な、もう大阪の自民党は自民党とも思えない。 やはり自民党は、僕は自民党は立派な政党だと思いますよ。
都構想の住民投票の前に行われたNHKかどこかのテレビの討論会で、共産党の大阪市会議員が、松井代表から、いや、そんな、何か二百億、二百億と自民党みたいな丸いこと言うなよといって、共産党に、ちゃんと数字があるなら出しなさいということを松井代表が共産党に言いました。共産党がぱっと紙をめくって、テレビですよ、テレビ、二百十八億円という数字があるのよと。
私事になりますけれども、私も三重県の片田舎で中学校まで過ごして、そして京都に出てまいりまして、そして学校を卒業して地元の国会議員の秘書をし、後援会事務局長をして京都市会議員になり、国政にまで出させていただきました。そういう面では菅総理と非常に重なる部分がございまして、非常に共感を覚えるといいますか、頑張ってもらいたいなと、このように思っているところでございます。
続いてなんですけれども、他国に類を見ないスピードで進展する我が国の少子高齢化、人口減少ですけれども、私は大阪市会議員を十六年経験しておりますけれども、地域課題の多くはこの問題が起点となっています。 特に期待するのが、医療とか介護の分野です。この分野における具体的な実装イメージというのはあるでしょうか、お聞かせください。
○大西(宏)分科員 私は大阪市会議員を約十六年務めておりましたけれども、二重行政が何なのか、十六年やっていてもさっぱりわかりません、正直言うて。大阪都構想によって解消すると言われている問題は、大阪市にあるのではなく、実は大阪府にあるんですよね。
碧南市の方は、市の当局はやらなかったそうですけれども、私ども日本共産党の碧南市会議員団が住民の皆様にアンケートをとりましたら、九割の皆様が市民病院を守れという御意見でございました。 それぞれの病院は、地域の皆様、働く皆様の長年の御努力で、志などによって支えられてきたもので、地域の大切な財産なわけです。
横浜市でも、行政にこれまで議会が求めた行政の接触記録の公開を、これは横浜市会議員が求めていますが、これも公開されていません。 地方自治体の関係者がまさにIR汚職事件と同じようなことを行った場合、これはこれまでのヒアリングを通じて確認したことではありますが、当然、認可後でも免許は取り消されるということでした。そうなった場合に被害をこうむるのは、これは市民の皆様なんです。
私は公明党の拉致問題対策委員長を仰せつかっておるわけでございますが、実は、横田めぐみさんのお母様が京都市の御出身ということでございまして、かつて、京都市会議員をやっておったときから拉致問題にかかわっておりまして、応援してきた経緯がございまして、今、党の拉致問題の対策委員長を仰せつかっている、こういう経緯でございます。 そこで、きょうは、端的に、外務省の方にまず幾つかお聞きしたいと思います。
私も横浜市会議員当時、まさに横浜型保育室、そういうのを条例でつくったり、そうした現場の皆さんの思いを実現するようなことを行ってきまして、私の一つの自慢は、駅構内に日本で初めて保育所をつくってもらった、その運動をずっとやっていることであります。
これが政治家としての、横浜市会議員当時から今日に至るまで、私の姿勢です。私は官僚と議論します。官僚と闘うときは理論で勝たなければできないということは市会議員のときからよく知っていましたので、そのことを一貫して貫いていますので、感情的に激怒することはまずあり得ない、このことを申し上げたいと思います。 そして、今の話は、四年ほど前の話でありました。その記事があって聞かれましたから。
日本共産党の豊田市会議員団としては、十年以上前からエアコン設置を求めておりました。しかし、なかなかつかなかったわけでございます。 豊田市の場合は、お金がないということは言いわけできないというふうに思います。この間ですけれども、愛知県内でいえば、今年度当初分として、何十校もエアコン設置を求めて文部科学省に申請をしておりました。しかし、ほとんどが却下をされました。
この問題は、私ども日本共産党の愛知県議団そして豊橋市会議員団も議会の中で求めておりますけれども、この十一月、愛知県から二〇一九年度の要請をいただきましたけれども、法に基づく救済が被災者に平等に行われるよう、全ての被災区域が支援の対象とするよう見直すことと盛り込まれております。これは全国的な御要望でございます。
大阪市会議員でありました父は、子供の私によく、通天閣のようなどでかい男になれ、通天閣は大阪のシンボルであり、大阪は東洋のマンチェスターだと、よくそういうことを言っておりました。私は、何のことか分からなかった。 父は、毎日のように自転車に乗りまして、西成区の隅々まで回っておりましたことをよく記憶いたしております。 母は、そういう父を助けまして、八人の子だくさんを立派に育ててくれました。
私はもともと大阪市会議員ですから、大阪市に関してはそこそこ知識があるもので、大阪メトロに確認したら、いや、絶対そんなことはありませんとおっしゃっていました。 もちろん今は形式的には一〇〇%大阪市が株を持っている持ち株会社ということになっていますので、かなり公共性の色の濃い状態、ですから、三星先生も当分の間はということをおっしゃったのは多分そこだと思うんです。